今回のあまりにも大きな震災では、地震による建築物やインフラへの被害、津波による未曾有の被害、そして福島第一原子力発電所事故の3つが主な災害として報道されているけど、もうひとつ見逃せない事故が起こっている。
福島県須賀川市に設置されている農業用アースダム、藤沼ダムが決壊し、下流で7名の死者、1名の行方不明者を出してしまった。まだ地震との因果関係が証明されたとは聞いていないけど、激しい揺れの直後にダムの方から大量の水が流れてきた、という地元の方の証言もあるようで、地震によって藤沼ダムが何らかのダメージを受け、決壊に至ったと考えて間違いないだろう。
津波と原発の陰に隠れてあまり報道されないこのニュース、地震国であり全国的に無数のアースダムが造られている日本では決して他人事でなく、ダム関係者やわれわれダム好きにとどまらず、全国民がもっと詳しく知らなければならないと思っている。
藤沼ダムは高さ17.5m、長さ133m、総貯水量150万㎥の農業用水専用アースダム(均一型フィルダム)で、地元の土地改良区が管理していることからも分かる通り、極めて小さい範囲に水を供給するため池といった存在だ。高さ、長さともにアースダムとしては平均的な大きさで、総貯水量も少なくはないが、ケタ一つ多いアースダムも数多くある、といった感じ。つまりどこにでもある普通のため池ダムだったようだ。
藤沼ダム【福島県】 - ダム便覧
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0483
アースダム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/アースダム
僕は以前、近くのダムをめぐったことはあるものの、時間の都合で藤沼ダムには立ち寄らなかった。いまさらだけど、かなり後悔している。
この事故の詳細としては、今のところ土木学会ホームページ内に調査速報が、
http://committees.jsce.or.jp/2011quake/node/31
福島大学の流域環境システム研究室によるアースダム調査に巡検速報が、
http://sites.google.com/site/kawawater/tameike
個人ではお馴染み「ダム日和」のtakaneさんが詳細なまとめを作られている。
http://d.hatena.ne.jp/dambiyori/20110323/1300889800
実は日本では過去にも人命に関わるダムの決壊事故が起きているけど、ほとんどが計画を上回る大雨であったり施工の不良だったりで、地震によるダムの決壊で死者が出たのは明治維新以降初めてではないかと思う。
僕個人としては、自分が愛してやまないダムというものが、原因はどうあれ、この現代に壊れて人的被害を出したということに大きなショックを受けた。
そしてこの報道を聞いたあとずっと、現地に行くべきか否か迷っていた。単なるダム好きというだけでなく、ダムの構造や役割、そして魅力をたくさんの人に伝えようとしてきた者として、これからもダムと付き合って行く上でこの事故は目を逸らして通れないのではないか。しかし専門家でもない自分が被災地に行くことは迷惑なのではないか、結局個人的な興味本位ではないのか、といった葛藤があった。
でも地震から2ヶ月経ち、いろいろな人の報告を読んだり聞いたりして、徐々に落ち着きつつあるらしい決壊被災地の状況、逆に地震当日と変わらず無惨な姿を晒し続けている藤沼ダムの様子を知り、ともかく行けるところまで行ってみようと思い立った。こんな重い気持ちでダムに向かったのは初めてだ。
地震の影響で路面に大きなうねりが残る東北自動車道を降り、ダムのある須賀川市長沼地域に入ると、あちこちで道路や建物にも被害が出ているのが目についた。道路脇の擁壁が崩れていたり、ほとんどの瓦屋根は鬼瓦や冠振がダメージを受けてビニールシートがかけられていて、土壁が崩れ落ちた土蔵も数多く見かけた。しかし倒壊した家やビルを見かけることはなく、注意して見回さないと「被災地」という印象はなかった。

道路沿いの擁壁が崩れていた
藤沼ダムに向かう道は2方向から伸びている。
大きな地図で見る
堤体は北東側にある斜めの直線部分で、東側から堤体のすぐ脇に出る道と、南西から貯水池の上流部に出る道がある。とりあえず東側から伸びる道から向かったところ、これから登りに入る、という地点でバリケードがあり、通行止めの看板が。

「藤沼湖自然公園」と書かれた石碑

通行止めのバリケードだけど厳重ではない
脇には正体不明の観音像が建っていて、近くまで行ってみると地元の方が自費で建立したもののようだった。事故とは関係ないとはいえ、この方がいまどんな気持ちでいらっしゃるか考えると胸が痛む。

森の中に建つ白い観音像

けっこう充実した自然公園のようだ
通行止めのバリケードに立入禁止とは書かれていないので徒歩ならOKかな、と判断して先に進んだ。湖畔に向かって登る道は、真新しい亀裂が入っていたり陥没している場所もあるけど、特に大きな損壊はなく、切り通しの斜面も見る限りまったく変化はなかった。

右側が谷になっている場所に大きな亀裂が

中心部は小さく陥没していた

しかしそれ以外に目立った損壊は見られず

坂を登り切ると視界が開け、湖畔に出る
坂を登り切ると目の前が開け、藤沼ダム湖の湖畔に出た。そしてそこで、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
事前調査で写真を見ていたとは言え、湖に湛えられていた水がすべて消えてなくなり、決して人目に触れることのなかった茶色い湖底がその姿を露にしていた光景はやっぱりショックだった。

本当に「完全にカラ」になってしまった貯水池
そして、すぐ脇に目をやると湖畔を通っていたはずの道路が完全に崩れ、貯水池の中に落ち込んでいた。実はここ、尾根の低い部分を支える副堤体で、そのうち3分の2ほどが跡形もなく壊れていた。ひょっとして主堤体が決壊しなかったら、こちらにもっと水圧がかかって限界を超えていたかも知れない。もしここが決壊していたら、僕が登ってきた道を水が駆け下りて、長沼中心部に直接濁流が押し寄せていた可能性もある。
結果的に決壊の一歩手前で踏みとどまった副堤体は、完全に流出して跡形もなくなった主堤体が崩壊に至った解析の手がかりになるだろう。

半分程度崩れた副堤体

たぶん本当にギリギリだったと思う

道路が通っていたはずだけど跡形もない

ほとんど貯水池側に落ち込んでいる
副堤体のすぐ直下には倉庫のような建物がある。よく見ると壁が一部崩れていて、これが地震によるものか分からないけど、一時的に副堤体を水が乗り越えて直撃した可能性もあるかも知れない、と思ってぞっとした。

すぐ下流に倉庫のような建物が

原因は不明だけど壁が一部壊れていた
そこから湖畔だった場所を通る道に沿って主堤体の方に歩いて行く。路面にはやっぱりところどころ亀裂があるけど、大きなダメージを受けている場所はなさそうだった。

たぶん奇麗な湖畔道路だったんだろう

小さい亀裂は何ヶ所かあった
カーブを曲がると、目の前に赤茶けた土がむき出しのV字谷が現れた。歩いてきた道は、その谷に差しかかるところでスッパリ消えていた。

道がスッパリなくなっていた
ここが、藤沼ダムの堤体があった場所だ。
僕はもうここで完全に言葉を失った。あまりにも現実離れした、むごい、悲しい光景。

ちょうど堤体がそっくりそのまま消えている
向こう岸を見ると、同じように道が寸断されている。その、向こう岸とこちら側をまっすぐに結んで、そこから上流側と下流側になだらかな斜辺を降ろしたような形をしたアースダムが、ごっそりなくなっていた。崩れただけではなく、あふれた水にすべて流されて、ちょうど堤体の形に切り欠きができ上がっていた。

堤体の形の切り欠き
正直この状況を瞬時には理解できず「本当にこんなことが起こるんだ」と妙に冷静な感想が出てきた。
そのまま下流方向に目を向けると、木々がなぎ倒され、妙に広い空間が先の方まで続いていた。ここを、すべての貯水池の水が短時間のうちに流れていったのだ。
いったい、あの地震のあったとき、ここでどんなことが起こり、どうして藤沼ダムは消えてしまったのか。しばらく眺めていたけど素人の僕にはまったく想像がつかず、向こう岸からも見てみようと車に戻って南西方向からダムに伸びる道に向かった。
結論から書くと、南西方向から伸びる道は湖畔にある「水と緑のふれあいランド」前までは来られるけど、そこから堤体までのおよそ1キロは通行止め、そしてこちらはバッチリ「立入禁止」の文字があった。誰が書いたか分からないこんな看板に法的拘束力はないと思いつつも、万が一の場合人に迷惑をかけてしまうと思い、立ち入りできなかった。湖畔公園もすべてロープが張られて立入禁止。公園の向こうには水のなくなった湖底が広がっていた。

左岸側は大幅に立入禁止

トイレの浄化槽?が浮き上がって段差ができていた

公園も全面立入禁止
その後、ちょっと気が引けたけど、ダムから流れ出た水が直撃した下流の街に行ってみた。まず目についたのは、今も道路脇などに積み上がる瓦礫。川からあふれ出た水が道路や家にも押し寄せたらしい。
そして川に架かる橋。まだ真新しい橋は欄干を支えるH鋼の柱がぐにゃっと曲がっていたり、根元から引きちぎられていたり、ボルトとナットがついたまま抜けてしまっていたり、土台ごとなくなったり、計り知れない力で原形をとどめないほど破壊されていた。





橋の上から上流を見ても下流を見ても、河床部や護岸もかなりのダメージを受けている。



周辺にはどのように集落があったのか分からないので詳しく書けないけど、川岸の家の何軒かは流され、痛んだ家も数多く見受けられた。


数キロ下流の橋に行ってみると、橋の脇に上流から流れてきたであろう瓦礫の山ができていた。そして堤防や河床部は大きくえぐられた跡がいくつもあった。堤防の外側にも削られたような跡があって、目の前の田んぼが泥だらけのところを見ると、ひょっとしたらこのあたりでも氾濫が起きたのかも知れない。



最後にダムのある支流が江花川本流に合流するところまで来た。ここまで来ても支流の方は堤防が削られて土嚢が積んであり、河床部には変形したタイヤなどさまざまな瓦礫が転がっていた。


以上が僕の見た藤沼ダム決壊事故現場の様子だ。読んでくれた方が現地に行ったのと同じ情報が得られるように、なるべく客観的に見てきたものをそのまま書こうと思ったけど、どうしても感情的になってしまう部分もあったと思う。
どうしても分からないのは、今回の地震でなぜ藤沼ダムが、そして、なぜ藤沼ダムだけが決壊したのか、ということだ。もっと震源に近い場所にも多くのアースダムはあるけど、今回の地震で決壊したのはここだけ。しかも主堤体だけでなく副堤体も大きなダメージを受けていることから、あの貯水池の周辺が特に強く揺れたか、もしくはダムにダメージを与えやすい揺れ方をした可能性があるかも知れない。
今回の事故を受けて、アースダムの強度や危機管理方法の見直しは必ず必要になると思う。現地の看板によると、藤沼ダムは昭和24年に完成して以降、これまでに4回改修工事が行われ、そのたびに補強されてきた。それがあっさり崩れてしまったことは決して見逃してはならない。
最初の方にリンクした福島大学流域環境システム研究室のアースダム調査によると、福島県内には決壊には至らないまでも比較的大きなダメージを受けたアースダムも多い。コンクリートダムやロックフィルダムの決壊はまずないと思うけど、アースダムの下流に暮らす方々は今までよりも危険度の認識を上げるべき、というのは言いすぎだろうか。でも、例えばアースダムは堤体内部に複数のセンサーを設置して、地震のときなどにセンサーが異常な動きを捉えたら、すぐさま下流に警報を出す、といった対策は必要ではないだろうか。
とにかく、どんな形式であれ、そして原因が何であれ、ダムが壊れるとこんなことが起こってしまう、という強烈な事実はすべてのダム関係者やダム好きが直視しなければならない。月並みなまとめだけど、今回の事故を徹底的に解明して、より安全なダムづくり、ダム管理をしてほしいと思う。